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8月第61回 6年目に入るに当たって
2009/09/19

社会主義の歩みと将来への展望
個人の尊厳と自律的連帯を求めて

第61回 6年目に入るに当たって

広島大学名誉教授 北西 允

当初は10回くらいで書き終えようと思っていた「社会主義のあゆみ」がとうとう今回で61回、6年目に入ってしまった。思想、運動、制度を含む社会主義の複雑多岐なあゆみを、あまり私見を交えずに、ほぼ暦年的に綴ってきたつもりだが、僕の不勉強、認識の誤り、紙幅の制約等によって、「欠陥シリーズ」になっていることを、自分自身強く感じている。
特に副題の「個人の尊厳と自律的連帯を求めて」については、突っ込んだ叙述を殆どしてこなかったことを深く反省している。「羊頭狗肉」「看板に偽りあり」との謗りは甘んじて受け容れなければならない。それは何よりも僕自身の人権感覚の未熟さと研究姿勢の甘さによるものである。
ただ、いささか言い訳になるが、マルクス主義者を含め過去の多くの社会主義者が、資本主義社会の中で虐げられる労働者の解放をめざすというとき、労働者を専ら階級として捉え、尊重されるべき、そして主権を分有すべき個人の問題にはあまり論及しなかったこともまた事実である。

社会を科学的に分析して法則性を導き出すには、集団的観察は不可欠である。個々人の人間に焦点を当てても、あるいは人間一般を分析しても、そこから社会的法則性を導き出すことは困難である。資本主義社会における労働者という集団、すなわち生産手段を持たず自らの労働力を売って、直接または間接に資本の再生産に参加しなければ生きていけない労働者階級、というのは集団的観察によって得られた概念であり、そこから階級闘争、社会主義革命という実践的指針もまた導き出された。しかし、民主、人権という市民革命の基本理念の継承抜きに、武力によって社会主義革命を達成した旧ソ連・中国をはじめ既存の社会主義社会に見られる権力者の専横、個人の尊厳軽視の実態は、社会主義という理念を著しく貶めた。
ソ連をはじめ東欧の社会主義国が、軒並み社会主義から資本主義へと逆旋回し、中国が共産党の一党独裁のもと、形容矛盾とも思える「社会主義的市場経済」を推し進めている今、社会主義理念の再点検と再構築が求められている。
例えば、ある思想を、進歩的あるいは反動的と判断する場合、マルクス主義者は、それが生産力の発展に寄与するか否かを基準にしてきたように思う。しかし、環境汚染、地球破壊が、深刻な問題として浮上している現在、こうした基準は当然ながら再検討されなければならない。また、社会主義国家機構のあり方も、できるかぎり分権化する方向で再検討される必要があろうし、個々人の「基本的人権」は最大限保障されなければなるまい。
これらの課題は、グラムシを始祖とするユーロコミュニズムの中で、そしてとりわけソ連型社会主義の崩壊以降、広くマルクス主義者の間で追求されてきた論点ではあるが、なお一層深めていく必要がある。本シリーズは、T・9モアに始まりようやく1世紀後半に入ったところである。12世紀にまで筆を進めるつもりはないが、今しばらく貴重な紙面を汚し続けることをお許し戴きたい。


Olive Diary DX Ver1.0

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