≪最新の記事10件≫
2014/05/01 [4 月号]新社会党広島県自治体議員活動
2014/05/01 [4 月号]時言
2014/05/01 [4 月号]「昭和」史の中のある半生(24)
2014/05/01 [4 月号]「戦争をさせない1,000人委員会」呼びかけ
2014/05/01 [4 月号]翼
2014/05/01 [4 月号]見え透いた嘘
2014/05/01 [4 月号]新社会党広島この一ヶ月の動き
2014/05/01 [4 月号]「チェルノブイリデー」に参加
2014/05/01 [3 月号]時言
2014/05/01 [3 月号]「昭和」史の中のある半生(23)
【9月号】社会主義の歩みと将来への展望 15 北西允
2005/09/30

第15回 ロシア社会主義労働党の結成と分裂
 ツアーリズムの弾圧下で度々流刑や亡命生活を余儀なくされていたマルクス主義者の活動家、V.I.レーニン(1870-1924)は、1898年にG.プレハノフ(1858-1918 )らとともにロシア社会民主労働党を結成する。しかし、同党は1903年にドイツ社会民主党をモデルとする穏健派のメンシェビキと職業革命家の党を目指す急進派のボルシェビキに分裂した。
 ボルシェビキのリーダー・レーニンは、『何をなすべきか』(1902)、『一歩前進二歩後退』(1904)などの著作の中で、ツアーリズムを打倒し労働者階級を解放するには、職業革命家による党の指導が不可欠であり、革命党組織のあり方として後に「民主集中性」と呼ばれるようになる組織原則を明らかにした。レーニンによれば、労働者の運動を自然成長性に委せば、せいぜい労働組合を組織して賃上げや労働条件の改善を目指す体制内運動にとどまらざるをえない。社会の変革という目的意識をもった集団的な指導なしに労働者階級の真の解放は実現出来ない、と主張した。
 ロシアの状況が西欧諸国に比べて異常に厳しかったのは事実であるが、レーニンのこうした主張は、マルクスの見解とはかなり異なっていた。マルクスも党という形での労働者階級の組織化を否定したわけではないが、枯れが力説したのは、労働者階級それ自身の努力による解放であったし、またプロレタリアートの政治組織が取るべき形態についても特別の関心は払わず、それぞれの国の労働者がおかれている固有の状況に応じて決めればよい、と考えていた。レーニンの見解に対して、この時期メンシェビキに所属していたL.トロツキー(1879-1940)が「代行主義」と論難し(『われわれの政治的任務』1904)、ドイツ社会民主党左派のR・ルクセンブルクが「超集権主義」(『社会民主党の組織問題』1904)と批判したことは記憶に値しよう。今日、「民主集中制」の組織原則を維持しているのは、日本とポルトガルの共産党だけだといわれる。

Olive Diary DX Ver1.0

Copyright © April,2005 新社会党広島県本部