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【2005.10月号】社会主義の歩みと将来への展望 16
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2005/10/23
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第16回第一次世界大戦と第二インターナショナルの崩壊
第一次世界大戦は、イギリス、フランス、ロシアの「三国協商(後に連合国)」と、ドイツ、オーストリア・ハンガリー、イタリアの「三国同盟」との長年にわたる確執を背景に、1914年から1918年にかけヨーロッパを主戦場にしつつも、日本を含む32ヵ国が参加し、世界的規模で戦われた帝国主義戦争であった。
戦争の危機が迫る中、第二インターナショナルは1907年のシュッツガルト大会において、R.ルクセンブルクとレーニンの修正案を受け入れ「社会主義諸党は戦争阻止のために闘う義務を負う」のみならず、不幸にして戦争が勃発した曉には「社会主義者は戦争の早期終結のために介入し、人々を奮い立たせて資本主義制度の転覆を促進するため戦争を利用する義務を負う」との決議を採択した。さらに1912年のバーゼル大会でもこの決議は再確認された。
ところが、いざ戦争が始まると第二インター加盟の大半の政党は、これらの決議を反古にして「祖国防衛」を口実に武器をとり敵味方に分かれて戦った。第二インターの中枢に位置したドイツ社会民主党では、左派のローザらは反戦の立場を堅持したものの、ベルンシュタインらの右派は積極的に、中間派のカウツキーらは逡巡しながらも自国の戦争を支持した。第二インター加盟政党で党全体として反戦の姿勢を貫いたのは、ロシアのボルシェビキ党、セルビアの小政党、イギリスの労働党の一加盟団体・独立労働党ぐらいであった。こうして第二インターは事実上崩壊した。
戦争中イタリアは「同盟」から「連合国」側へ寝返り、1917年にはアメリカも「連合国」側について参戦した。同年ロシアでは二度にわたる革命によってボルシェビキ党が権力を撮り、戦線から離脱して単独で「同盟」側とブレスト・リトフスク条約を結んだ。その後も戦争は続行されたが、ドイツ帝政は1918年に革命的混乱の中で崩壊し、そのあとを継いだエーベルトの率いる社民党政権は「連合国」に和を請うた。これに前後して、「同盟」諸国も相次いで降伏し大戦は「連合国」側の勝利に帰した。
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