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【2005.12月号】 時言
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2005/12/22
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時言
小泉「改革」は誰のための「改革」か?
許し難いことではあるが今日、労働者は正規・準正規に、さらに正規にあっては総合職・一般職・専門職等にと、非正規は契約・派遣・パート雇用等々に分断されている。加えてそこに個々人の労働実績に応じた賃金支払いという成果主義が取り入れられてもいる。このように労働者の個別化が図られ、そこに膨大な数の格差による序列化されたピラミッド型の階層社会が形成されている。そこでは格差に伴う利害が対立し、上を見たり下を見たの果てしのない自己疎外に陥り、団結は阻害される▽「分団して統治」することの旨みを知悉した資本と、その走狗たる政治権力の策動にからはまり、出口を見失った姿のようである。そこに充満する不満や閉塞感から人々はマスメディアのふりまく「心主義」、そこに蔓延する観念論、拝金主義、あるいは希望や理想の喪失による刹那主義等におちいっている。まさに意識はメディアという巨大商業資本によって汚染・誘拐され続けているのである▽この資本の側の思想による汚染(自己疎外)と差別を利用した支配策動こそが、規制緩和・民営化・構造改革等「小さな政府」作りに象徴的な市場主義である▽私たちはこの資本の側の戦略の延長線上に戦争が想定され、それが故の憲法九条第二項殺しの改憲攻撃が仕掛けられていることを明確にしなくてはならない。それが為には個々人の日々の生産活動・生活の次元からの唯物論的な発想に立って、自らの社会的位置を厳しく自覚しなくてはならない。
(安保英賢)
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