≪最新の記事10件≫
2014/05/01 [4 月号]新社会党広島県自治体議員活動
2014/05/01 [4 月号]時言
2014/05/01 [4 月号]「昭和」史の中のある半生(24)
2014/05/01 [4 月号]「戦争をさせない1,000人委員会」呼びかけ
2014/05/01 [4 月号]翼
2014/05/01 [4 月号]見え透いた嘘
2014/05/01 [4 月号]新社会党広島この一ヶ月の動き
2014/05/01 [4 月号]「チェルノブイリデー」に参加
2014/05/01 [3 月号]時言
2014/05/01 [3 月号]「昭和」史の中のある半生(23)
【2006.1月】社会主義の歩みと将来への展望
2006/01/24

社会主義の歩みと将来への展望
個人の尊厳と自立的連帯を求めて(19)
                 広島大学名誉教授 北西允

マルクスは、先進資本主義国の同時革命を想定していた。それは主として、資本主義の成熟度に応じて革命的諸条件が塾醸成されると考えたこと、『共産党宣言』を発表した1848年には、フランスでは二月革命、ドイツでは三月革命が起こり、イギリスではチャーティスト運動が革命的高揚を帯び、オーストリアその他でも革命的騒擾が生起したこと、によるものであった。
 ところがレーニンは、帝国列強が世界を支配の鉄鎖で覆い、自国の矛盾を植民地にしわ寄せするなどして延命を図るようになったため、革命は先進帝国主義国ではなく、鉄鎖の最も弱い環、つまりロシアで勃発し、漸次他国に波及すると主張した。彼は、ロシア革命後に企てられたドイツ革命に期待を寄せるとともに、第二インターに替わる第三インターナショナルの創設に心血を注いだ。
 革命後のロシアでは「戦時共産主義」の下、ソビエト政権は、内には農民や一部兵士の叛乱、外からは日本を含む帝国主義諸国の武力干渉に遭い、それらを武力で鎮圧あるいは排除するという騒然とした状況が続いた。
 ドイツでは、社会民主党を離脱した独立社会民主党は、リーブクネヒトやルクセンブルクの指導下にスパルタクス・ぶんと、さらには1918年末にドイツ共産党を結成し、1919年以降二度にわたって武装蜂起を試みたが、帝政崩壊後に樹立された社会民主党政権によって鎮圧された。
 このドイツ革命と同時並列的に、第三インターの創設準備が進められた。レーニンは、社会民主主義という用語は、いまやマルクス主義の裏切りに他ならない日和見主義、改良主義に堕したと説き、1919年に創立したインターナショナルに共産主義インターナショナルの名を冠した。
 コミンテルンは、翌20年の第二回大会で有名な21か条の加盟条件を採択した。それは著しく中央集権的な条件ばかりで、第二インターの連邦主義を排除し、コミンテルンは「全世界的な単一の共産党でなければならない」とし、事実上、白人のためだけに存在した第二インターとは対照的に、「その隊列の中に、白人、黄色人、黒人、全世界の勤労者が友好的に団結する」ものでなければならないねと述べ、その目的は、「国家の完全な廃絶への過渡的段階としての国際的ソビエト共和国の設立」であると規定したのであった。

Olive Diary DX Ver1.0

Copyright © April,2005 新社会党広島県本部