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【06.3月号】社会主義の歩みと将来への展望(21) 北西允
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2006/03/22
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21回 第1次大戦がもたらしたヨーロッパ の混乱とファシズムの台頭
総力戦となった第一次世界大戦は、それまでの戦争とは比較にならない膨大な犠牲者と深刻な社会的混乱をもたらした。交戦国の戦死者数は856万人に上ったが、民間人の死者はそれを大きく上回って1,856万人を数えた。敗戦国では革命的混乱が相次ぎ、ドイツが共和制に替わったのに続き、オーストリアでは600年も続いたハプスブルグ家の支配に終止符が打たれ、トルコでも帝政が崩壊した。また主戦場となったヨーロッパでは、政治地図が大きく塗り替えられた。
戦争による社会の混乱と民衆の苦難を背景に右翼勢力も台頭してきた。戦勝国のひとつイタリアでは、参戦を煽って社会党から除名されたB.ムッソリーニ(1883〜1945)が、戦後の混乱と革命運動の高揚に危機感を抱き、1919年復員軍人らを基盤にミラノで戦闘者ファッショ(ファッショとは結束の意)を結成し、黒シャツ隊を組織して暴力的な反革命運動を展開した。彼は1912年戦闘者ファッショを国家ファシスタ党に改組し、翌22年数万の武装部隊を率いてローマに進軍し、国王は彼に組閣を命じた。以後ムッソリーニは、サンジカリズムの異端的論客・ソレルの影響ももあって権威主義的コーポラティズム体制を築いていく。
ワイマール憲法下のドイツでは、A.ヒトラー(1889〜1945)が、過酷なベルサイユ体制に喘ぐ民衆の不満に乗じ、民族社会主義(ナチズム)を標榜して政界に打って出た。彼は、
1921年ドイツ労働者党を発展的に解消したナチス・ドイツ労働者党党首の地位につき、反対勢力との武闘組織・突撃隊を編成しながら党勢の拡大に努めた。ヒトラーは1923年ミュンヘンでクーデターを起こすが失敗、下獄中に『わが闘争』を執筆し、1924年に釈放されてからは突撃隊に加えて新たに親衛隊を組織したが、主に合法路線をとって政権の獲得を目指した。
こうした動き対抗すべき左翼勢力が分裂抗争状態を深めたことも、ファシズムの勢力伸張に有利に働いたのは否めない。
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