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【11月号】キューバ訪問記(5)
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2009/11/29
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キューバ訪問記(5) 齋尾和望
キューバ革命で記憶に残るのは、カストロ以上にゲバラが
あげられる。単に「チェ」とか「ゲバラ」とか、あるいは「チェ・ゲバラ」と言われるが、正式の名前は「エルネスト・ゲバラ」である。彼が話す時、スペイン語で「やあ」の意味を持つ「チェ」という言葉をよく使ったので、キューバ人が面白がってつけたあだ名が「チェ」であり、そしてそれがいつしかゲバラの愛称になったと言われる。
私たちはゲバラが眠っている博物館・廟を訪問した。ハバナから東南へバスで約3時間の町サンタクララにそれがある。ゲバラは、キューバ革命の後アフリカでの革命運動に連帯するが挫折し、一時キューバに帰る。しかし再び革命闘争のためにボリビアに出向き、結局仲間に裏切られてアメリカの援助を受けたボリビア政府軍に捉えられ、銃殺されたのである。1967年10月のことである。廟には、一緒に虐殺された仲間と共に祀られていた。隣の博物館には、ゲバラの生涯を語る遺品や写真が展示され、参観者の心を引き付ける。
バスで少し移動したところには、ゲリラ作戦の象徴的な戦いとして記憶されている列車爆破現場が保存されている。この作戦で革命軍の勝利がほぼ確定したと言われている。
ゲバラが今日なお、世界の多くの人々から尊敬され愛されることには、次の手紙が影響しているのではないだろうか。ゲバラがカストロに宛てた最後の手紙である。
「・・・今、世界の他の国が僕のささやかな力添えを望んでいる。君はキューバの責任者だから出来ないが、僕にはそれができる。別れの時が来てしまったのだ。喜びと悲しみの入り混じった気持ちで、こんなことをするのだ、と察してほしい。僕はこの地に、建設者としての最も純粋なもの、そして僕が最も愛している人々を残していく・・・また僕の息子のように受け取られた国民からも去っていく、それは僕としても哀しい気持ちにするのだが・・・。」
命を賭けて闘った同士や家族、そして国民に対するゲバラの優しさが伺われる最後の手紙である。
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