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社会主義の歩みと将来への展望(26)
2006/08/22

社会主義の歩みと将来への展望
個人の尊厳と自立的連帯を求めて(26)
広島大学名誉教授 北西允

第26回 日本における社会主義の胎動

日本は明治維新以来、「富国強兵」政策によって急速に帝国主義列強の仲間入りを果たしていくが、政府の治安対策・官憲の弾圧は、西欧諸国に比べて殊のほか厳しかったため、社会主義運動発足にも言語に絶する困難を伴った。
 最初に産声をあげたのは、1901年結成の社会民主党である。創立者は、社会主義研究会(1898年発会)が脱皮してできた社会主義協会(1900年開設)のメンバー、片山潜(1859〜1933)、安部磯雄(1865〜1949)、木下尚江(1869〜1939)、幸徳秋水(1871〜1911)、河上清(1873〜1949)、西川光二郎(1876〜1940)の6人。彼らは、社会主義の研究から実践へと一歩踏みだしたわけであった。同党はドイツ社会民主党綱領を下敷きにして、党則の第一条に「我党は社会主義を実行するを以って目的とす」と規定し、「人類同胞主義、軍備全廃、階級制度全廃、土地・資本の公有、交通機関の公有、公平な財冨の分配、参政権の平等、教育の公費負担」の「理想」を含む『社会民主党宣言書』を公表した。しかし結党を届け出た翌日、警視総監は、治安警察法(1900年制定、1945年廃止)に違反するとして直ちに結社禁止処分を下し、『宣言書』を掲載した新聞等もすべて没収した。創設者らはその直後、政策に若干の変更を加え、党名も社会平民党に変えて結社届を提出したが、これまた即日禁止処分に遭った。
 その後1903年、本格的な帝国主義戦争である日露戦争に反対して『万朝報』を退社した堺利彦(1871〜1933)、幸徳らは『平民新聞』を発刊すべく平民社を結成し、石川三四郎(1876〜1956)、西川は社員として、また安部、木下らも相談役としてこれに参加した。週刊『平民新聞』は、社会主義協会と提携して平民主義、社会主義、平和主義を唱え、その宣伝活動を通じて各地に社会主義グループが生まれた。しかし『平民新聞』は、政府の弾圧と財政難によって1905年1月に廃刊となり、平民社も同年9月内部対立のために解散するに至った。 

Olive Diary DX Ver1.0

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