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【10月号】時言「自らの保守性とは何か?」
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2006/10/19
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時言「自らの保守性とは何か?」
戦後60有余年。その間私たちが政治・思想にかかわって抱き続けてきた危惧や不安は、安倍新首相の「開かれた保守主義」・「保守の再構築」によって刺激され、増幅もしている。それ故、保守の政治・思想を点検・検証してみることは、自らを照らし出す作業ともなり極めて重要である▽それにしても私たちは「保守」をどのように理解し、批判してきたのか。対極的に言って「保守」は、歴史の連続性の中で形成された伝統や権威を重んじ、歴史的な階級社会秩序を肯定し、個人より家族・地域・国家を優先する。それ故個の確立・自立は社会や「公」の中に埋没・抑圧され、不平等は社会的に固定化され、差別は温存・拡大再生産され続け、人は疎外の中に呻吟する▽一方小泉改革にみる保守は能力主義・市場万能・競争主義・破壊・革新・進歩主義等々は、自立した個人、自力で人生を切り拓く個人が前提されている▽前者から見れば後者は保守主義ではなく、自由主義的個人主義であるが、戦後のこの国々はこの相矛盾する内容が「保守」の名の下に共存して来た▽識者によればこの共存は、敗戦とその後の米国の占領、さらに冷戦構造の中、社会主義に与する者を革新、それに反するものを保守とし、米国と一体化する形で自民党を中心に自己形成してきた▽私たちは、以上のどちらの「保守」も時こそ外・収奪を強化するものとして、それよりも新しい社会主義に立つものであるが、それをより強固な希求にするためにも、自己の内なる「保守」の二つの側面を問い直してみなくてはならない。 (安保英賢)
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