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2006【11月号】時言
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2006/11/20
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「資本の側の脚本を喜々として演じる小泉安倍政権」
現憲法のもと、政治権力は自らの成立根拠を、国民一人ひとりの自然権(生命・自由・財産を守る権利)を等しく守る約束の下での、主権の信託に置いている。それ故自然権を抑圧・侵害する政権からは、それを取り戻す革命権を行使し得るのはロックやルソーの学ぶ通りである▽「平等」を実現するという政治本来の目的を放棄し、平等を社会主義的とか悪平等等とか揶揄し乏しめ、不平等・格差を是認・前提するのは、民主主義の否定に迎合する政治の自殺である。就中、昨今の歳出削減にあっては、弱者切り捨てが前提され、それに融和主義そのものの「再チャレンジ」が過乗される安倍政治は、資本の側を潤す善○政治そのものであり、そんな政治はいらない▽平等の実現のために戦後、「規則」の中にどうにか嵌め込んで来た「猛獣たる資本」を構造改革とか景気回復等々の口実で、解き放つてしまった。財界からの圧力と一体化して「力ある者にひき上げてもらう」等の妄言を吐いての弱肉強食である。結果は脚本通りで、大企業は空前の巨利を手に入れ、逆に非正規労働者360万、高齢者・貧困層は追いつめられている▽それ程過酷な状況を作った張本人の言う「美しい国・愛国心」は誰れのためのものか。まさに搾取・収奪かくし、階級意識の消去、共同幻想強化策動である▽資本の側の思想や論理を一般常識とする社会意識や共同幻想を打破するのは、社会的立場の自覚的認識に立つ労働者の闘う力である。(安保英賢)
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