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第65回 日本の新左翼による「大学闘争」
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2009/12/26
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社会主義の歩みと将来への展望
個人の尊厳と自律的連帯を求めて
第65回 日本の新左翼による「大学闘争」
広島大学名誉教授 北西 允
1960年代後半、フランスをはじめ欧米諸国で猛威を揮ったスチューデント・パワーは、たちまち日本にも波及した。1946年の結成時から共産党、58年以降は同党を離脱した共産主義者同盟(ブント)の指導下に入った、全員加入を原則とする「全日本学生自治会総連合(全学連〉」と異なり、1968年からは、新左翼急進諸党派が主導する有志学生の「全学共闘会議(全共闘)」が国・公・私立の主要大学に順次組織されていった。巨大な立て看板、学長らに対する「つるし上げ」とも言うべき「大衆団交」、教職員をキャンパスから追放する「パリケード封鎖」が、新たな闘争戦術の特徴であった。当初全共闘は、広範な学生の共感を呼ぷ改良要求を掲げる傾向にあったから、、ノンポリ学生を含め「大学の自治」から疎外され、逼塞した管理社会状況に不満を抱き、ベトナム戦争に代表される軍事情況に危機感を強めた多くの学生も、この斬新で強力な運動を支持した。
当時、官憲は学長の承認なしにキヤンパスに入ることは許されず、他方、教職員も、ラジカルな新機軸の運動への対応に苦慮して右往左往するばかりで、有効な手立てを打つことが出来なかった。そのためキャンパスは、一時彼らの「解放区」の観を呈した。
一ロに「全共闘」と言っても、それぞれの大学で、当時「五流十三派」といわれた新左翼の諸党派が、単独あるいは複数で主導権を握っていたため、大学によって闘争の形態や経過にはかなりの相違がみられた。有力な勢力としては、トロツキズムに依拠して「反帝・
反スターリズム」を標榜する革命的共産主義者同盟から分岐した中核派と革マル派を初め、
アナルコ・サンジカリズムの色彩を持つ社会主義青年同盟解放派、晩年の毛思想に依拠する毛沢東主義者、「ベトナムに平和を!市民連合(べ平蓮)」に繋がる党派、トロツキーが結成した「第四インター」系の党派、いずれの党派にも属さないノンセクト・ラジカルなどが挙げられよう。
これら党派の大半は、色調の異なるヘルメットに覆面姿という出で立ちで、角材などで「武装」して学外闘争にも打って出た。各地で一部の労働者、農民、地域住民らが同調し、主に成田新空港や米軍基地に対する闘争で機動隊と激しい衝突を繰り返した。党派の多くは、社会主義革命の条件は充分成熟'していると主張していたが、フランス「五月革命」のように広範な組織労働者との共闘を実現するには至らなかった。
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