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2010.2月今沖縄を考えてみよう!城間和行さん講演会から
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2010/04/16
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普天間基地の辺野古移設が問題になっている中、沖縄にルーツを持つ尾道市議会議員である城間和行さんの講演を聞く機会があった。
父が日本旅行中?尾道で生まれた城間さんが沖縄を考えるように
なったのは、1995年の少女暴行事件後に行われた8万5000
人の抗議集会に、識字を奪われていた叔母がバスを2つも乗り継い
で参加したという話を聞いて以来である。あの集会での中村清子さんのメッセージに涙したのは私だけではなかったと思う。
今、普天間基地の辺野古移設問題が政治の大きな課題になっているが、基地の問題が始まったのは1995年でも、また、本土の防波堤となって集団自決を強いられたあの戦争、そして敗戦でもない。
それは、1602年の島津藩による琉球侵略から始まるのである。 その後琉球は1872年の琉球処分(この言葉に本土の沖縄に対する差別意識が見て取れる)、1879年の鹿児島県への編入、12万2228人にも及ぶ県民の犠牲者数を出した十五年戦争。そしてなお今日まで続いているのである。
この間、1903年の琉球人として見せもの扱いにされた「人類館事件」、1923年の関東大震災で朝鮮人と同じ様に虐殺されたことも忘れてはならない。
さて、集団自決という名の日本(兵)による沖縄県民虐殺から辛うじて生き残った人々は収容所で敗戦を迎えるのであるが、厳しい収容所生活ののち家に帰ると、そこには有刺鉄線が張られ、自分の土地がなくなっていたのである。いつの間にかかってに基地にされていたのである。何の話も約束もないままにである。
沖縄は「自らのことを自らが決められない」と言われるのであるが、その歴史は1602年に始まり、今日まで続いているのである。
私たちは、普天間基地は勿論いらないし辺野古への移設にも反対である。沖縄だけでなく、岩国など、日本にある全ての米軍基地の撤去返還を要求する。
城間さんは、「普天間基地の問題が沖縄問題ではない」と強く訴えられた。本土に在る私たちは今、普天間基地の問題を通して、沖縄の歴史を振り返って見なければならない。その時、傍観者であったという立場と、加害者であったという立場を忘れないようにしたい。 (齋尾 和望)
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