|
【5月】憲法記念日に思う
|
2008/05/30
|
憲法記念日に思う
小森 龍邦
日中戦争にひきつづいて、太平洋戦争に至る長い15年戦争は、1945年の広島・長崎における原爆投下の悲惨な状況を経験し、やっとその終焉を迎えた。
国民の多くは言うと言わぬとの差はあったが、戦いの勝ち負けに執着するというより、毎晩の如く襲いかかるB29の爆撃が止まっただけでもほっと一息ついた。
「これでなんとか貧しくとも、穏やかな生活ができる」という実感をもった。
これからの日本は「平和国家」「文化国家」で立っていくのだと、有識者が、当時のわれわれ青少年をふるいたたせた。私もまた、そのことに深くうなずいた。
間もなく、新憲法の制定ということになった。1946年11月に公布され、翌47年5月に施行された。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」(第9条)
中学校の2年生であった私の胸は、高鳴るものを覚え、これなら日本という国は再生できると思った。私は憲法の文章全体を暗誦した。あれから60余年。私は憲法の殆どの条文を今でも暗誦できる。
もうこれで、人類は再び戦争のような愚劣で悲惨なことは繰り返さないだろうと、私は思った。
しかし、警察予備隊、保安隊、自衛隊と名称変更をおこないながら、世界有数の軍事力を保有する国となり、憲法条文が形骸化されていったことは勿論、いまでは、アメリカの無謀なイラクへの軍事行動に、「後方支援」と銘打って、軍事行動に加担している。
人間というものは、なかなか性根に入らぬものだと、この生涯を通じてつくづく思わされている。
「安保堅持」「自衛隊合憲」と村山内閣は突然変容を演じ、当時、日本社会党の衆議院議員であった私は、「トチネンボー」を振った。
日本社会党はもろくも崩壊した。民主党に行き遅れた社民党が、もとの社会党のような声をかすかに響かせている。しかし、この人たちには、あの方針変換が日本と日本国民の運命を狂わせたという反省をしない。
われわれは、保守反動の全面包囲を受けて、いま小さな勢力に甘んじている。しかし、いずれの日か、この一貫した姿が本当の世界平和の道であることが証明されるであろう。
そのために日本国憲法の尊い精神は守りぬかねばならない。
|
|
|
|