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2月「決意を新たに! 決起集会」・団結「旗びらき」開催
2009/02/23

「決意を新たに! 決起集会」・団結「旗びらき」開催
   広島県本部は「決意を新たに! 決起集会」・団結「旗びらき」開催
   広島県本部は、約70名の党員、党友の参加のもと1月17日(土)
1 0時から広島市内の「ホテルチューリッヒ東方2001」で団結「旗びらき」の前段に「決意新たに!」と表して決起集会を開きました。
 三木郁子県本部委員長のあいさつに続き、斎尾書記長より経過説明があり、3総支部、議員団からの決意表明があり、小森顧問からの集会のまとめがあり、、決議文の採択をし決起集会を閉じました。
 思い起こせば13年前、1996年3月3日の全国結党大会に先駆けて同年2月25日に広島県本部は、広島平和公園内にある国際会議場
において「―いま、はばたく護憲の党―新社会党広島県本部結成大会」を開催しましたが、そのスタートは熱気と希望に満ち溢れたものでした。
 当時、党員数も全国トップを誇っており、さまざまな集会、学習会など大規模に企画もされましたし、県内の組織拡大の勢いは凄まじいほどに進行していきました。その勢いで、3月3日の全国結党大会へ広島から相当数参加し「歴史的な大会に遭遇し、21世紀に向かう平和な新しい民主主義社会建設のためにお互いがんばろう!」と感動深く心に誓ったものでした。
 しかしながら、結党当初の5名の国会議員の議席を失い、政党要件も無くし、結党時から13周年を迎えようとしている今日、党員も激減し、県内総支部・支部も開店休業状況にまで陥っている所もあり、日常活動や党活動も衰退への途をたどる事となり、財政的にも窮地に立たされるに至り、「どうにかしなければ」とここ数年の間組織再生強化に向けての協議や議論を重ねて来ました。
 もちろん組織弱体化の背景に、小選挙区比例代表並立制という悪選挙制度や、90年代半ば以降グローバル化への対応としての新自由主義的な収奪強化策、すなわち社会主義的なものあるいは労働者の願い、例えば平等の実現等の価値を一方的に封殺していく。その現象化としての新社会党の排除あるいはヒロシマへの教育攻撃や解放運動への凄まじい攻撃があったことや、自治体合併に伴う議員定数の激減により、いわゆる革新議席が確保し難くなったこと等々の要因を考えてみることができますが、要はやはり党員一人一人の主体の鍛え方が弱かったのではないのかと言う反省に立っているところです。
 党員自らが主体的に日々の活動に関わることをお座なりにし、党員として当然納入するべき党費も怠るという体たらく。さらには「党は、党費やカンパばかり要請してくる。党員になっていても意味がない。」として、多くの党員が去っていったその要因もお互い戒め、反省していかなくてはなりません。
 以上のような状況を何とか打破していくためには、今「何が起きているのか。」をしっかり見極め、そこから「自らのとるべき態度と行動を自覚する。」との取り組みを各地域で展開していくことこそ再生への道と見定め、その方向を党員総体で合意し踏み出していく。その第一歩として、企画されたのが、今回の「決意を新たに! 決起集会」でした。
 まず、この集会に向けて文集づくりを計画し、結党当初から関っておられる人たちを中心に「新社会党によせる思い」を寄せていただくこととしました。なぜ今、決起集会を開催するのか、いやしなければならないのかとの「呼びかけ文」をつけて原稿を依頼し、小冊子ですが当日参加者に配付することもできました。
 「なぜ今、決起集会なのか」についての意思疎通にも時間がかかりましたが、結果的にそれらのやり取りを通じてお互いの思いも繋がって行くことにもなりましたし、県内各総支部、支部もこの決起集会へ向けた事前取り組みとして来た組織拡大へ向けて、もう一度自分たちの周りに声かけをしてみようとの動きとなり、当日は「勇気を出して、去って行った仲間にもう一度、声をかけたら戻ってくれた。天にも昇るくらいうれしかった。」などの報告もあり、久しぶりに元気の出る集会となりました。
 引き続いて来賓より連帯のあいさつを受け、団結「旗びらき」の一部・二部と移り、今春の自治体選挙の予定候補者である大崎上島町議選中村修司さん、廿日市市議選石原 顕さん、三原市議選七川義明さんと政平智春さんの決意表明に続き、県内総支部・支部の交流と懇親を深め、やる気と元気の出る新年のスタートをきる事ができました。
、約70名の党員、党友の参加のもと1月17日(土)
1 0時から広島市内の「ホテルチューリッヒ東方2001」で団結「旗びらき」の前段に「決意新たに!」と表して決起集会を開きました。
 三木郁子県本部委員長のあいさつに続き、斎尾書記長より経過説明があり、3総支部、議員団からの決意表明があり、小森顧問からの集会のまとめがあり、、決議文の採択をし決起集会を閉じました。
 思い起こせば13年前、1996年3月3日の全国結党大会に先駆けて同年2月25日に広島県本部は、広島平和公園内にある国際会議場
において「―いま、はばたく護憲の党―新社会党広島県本部結成大会」を開催しましたが、そのスタートは熱気と希望に満ち溢れたものでした。
 当時、党員数も全国トップを誇っており、さまざまな集会、学習会など大規模に企画もされましたし、県内の組織拡大の勢いは凄まじいほどに進行していきました。その勢いで、3月3日の全国結党大会へ広島から相当数参加し「歴史的な大会に遭遇し、21世紀に向かう平和な新しい民主主義社会建設のためにお互いがんばろう!」と感動深く心に誓ったものでした。
 しかしながら、結党当初の5名の国会議員の議席を失い、政党要件も無くし、結党時から13周年を迎えようとしている今日、党員も激減し、県内総支部・支部も開店休業状況にまで陥っている所もあり、日常活動や党活動も衰退への途をたどる事となり、財政的にも窮地に立たされるに至り、「どうにかしなければ」とここ数年の間組織再生強化に向けての協議や議論を重ねて来ました。
 もちろん組織弱体化の背景に、小選挙区比例代表並立制という悪選挙制度や、90年代半ば以降グローバル化への対応としての新自由主義的な収奪強化策、すなわち社会主義的なものあるいは労働者の願い、例えば平等の実現等の価値を一方的に封殺していく。その現象化としての新社会党の排除あるいはヒロシマへの教育攻撃や解放運動への凄まじい攻撃があったことや、自治体合併に伴う議員定数の激減により、いわゆる革新議席が確保し難くなったこと等々の要因を考えてみることができますが、要はやはり党員一人一人の主体の鍛え方が弱かったのではないのかと言う反省に立っているところです。
 党員自らが主体的に日々の活動に関わることをお座なりにし、党員として当然納入するべき党費も怠るという体たらく。さらには「党は、党費やカンパばかり要請してくる。党員になっていても意味がない。」として、多くの党員が去っていったその要因もお互い戒め、反省していかなくてはなりません。
 以上のような状況を何とか打破していくためには、今「何が起きているのか。」をしっかり見極め、そこから「自らのとるべき態度と行動を自覚する。」との取り組みを各地域で展開していくことこそ再生への道と見定め、その方向を党員総体で合意し踏み出していく。その第一歩として、企画されたのが、今回の「決意を新たに! 決起集会」でした。
 まず、この集会に向けて文集づくりを計画し、結党当初から関っておられる人たちを中心に「新社会党によせる思い」を寄せていただくこととしました。なぜ今、決起集会を開催するのか、いやしなければならないのかとの「呼びかけ文」をつけて原稿を依頼し、小冊子ですが当日参加者に配付することもできました。
 「なぜ今、決起集会なのか」についての意思疎通にも時間がかかりましたが、結果的にそれらのやり取りを通じてお互いの思いも繋がって行くことにもなりましたし、県内各総支部、支部もこの決起集会へ向けた事前取り組みとして来た組織拡大へ向けて、もう一度自分たちの周りに声かけをしてみようとの動きとなり、当日は「勇気を出して、去って行った仲間にもう一度、声をかけたら戻ってくれた。天にも昇るくらいうれしかった。」などの報告もあり、久しぶりに元気の出る集会となりました。
 引き続いて来賓より連帯のあいさつを受け、団結「旗びらき」の一部・二部と移り、今春の自治体選挙の予定候補者である大崎上島町議選中村修司さん、廿日市市議選石原 顕さん、三原市議選七川義明さんと政平智春さんの決意表明に続き、県内総支部・支部の交流と懇親を深め、やる気と元気の出る新年のスタートをきる事ができました。

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