|
[5月号]日本軍「慰安婦」被害者証言集会に参加して
|
2013/06/15
|
日本軍「慰安婦」被害者証言集会に参加して
5月19日 広島市留学生会館にて
1928年平安北道ヒチョン生まれで、数え年で86歳の元慰安婦吉元玉(キル・ウォノク)さんは、父を刑務所から解放するための資金10円を確保するため、「良い仕事がある」という話に騙されて満州に入った。まもなくハルビンの慰安所に、その後1942年頃からは石家荘の慰安所で働かされ、 殴打と拷問という耐え難い仕打ちを受け続ける13歳の少女は、「お母さん!お母さん!」と遠く平壌にいる母を叫ぶしかありませんでした。
日本の敗戦で1945年に仁川(インチョン)に帰国したものの、13歳で別れて以来、両親には全く会えていないということでした。
その後は、よろず商や露天商などで生計をたて、(多くの慰安婦は「結婚できない」と思い、思わされている)1958年に養子を迎えています。その養子は、牧師として活躍し、彼もまた養子を迎え入れているとの事でした。
慰安婦としての登録は1998年ということですから、金学順さん(故人)が訴え出た1991年8月からは7年遅れたことになります。金学順さんの訴えの後、1992年宮沢首相の訪韓でお詫びと反省が表明され、そして1993年の「河野談話」、さらに1995年の「村山談話」に継続されます。
しかし、「新しい歴史教科書をつくる会」などの発足等、日本社会の中には、あるいは政治家の中には侵略戦争を否定、「慰安婦問題はない」などの発言が相次ぎます。こうした中、「このままでは死に切れない」というやっとの思いで名乗り出られたということです。
吉元玉さんの来日は、予想もしなかった橋下発言の真っ只中に当たり、病気にも襲われて体力をかなり消耗している中、さらに追い討ちを掛けるように心・身体を傷つけたようでした。それでも、体力を考えて自らの詩の朗読だけの予定にしていましたが、講師の梁澄子(ヤン・チンジャ)さん、金東姫(キム・ドンヒ)挺対協(挺身隊問題対策協議会)事務所長さんの話に割って入り、「歴史の真実を語る生存者がいるのにもかかわらず、政治家の妄言が続くので来た」、また「日本が戦争の準備をしているのではないかと思って来た」等々と心のそこから訴えられました。そして最後に、「次は、全てが解決したお祝いの会でお会いしたい」と結ばれました。
三原総支部本郷 齋尾 和望
|
|
|
|